或る阿呆鳥に呟く。

~ジュニアテニス、映画、雑記、何でもありの備忘録〜

【映画】ドラえもんこそ最高のSFだ「映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団」感想

今回は映画・ドラえもんシリーズから「新・のび太と鉄人兵団」をご紹介したい。この作品は1986年に制作されたオリジナル版と2011年に制作されたリメイク版の2つがある。ネット上ではこれら2つを対比するかのようなレビュが散見されるが、それは野暮というものだろう。事実、製作された年代や声優、そして(一部)脚本だって違うのだから安易な比較はできないし、したところでそこに価値はない。ただ、どちらの作品にも言えることは、出会い、別れ、そして再開といった「感動のツボ」を押さえた良作だということである。アニメのSF(サイエンス・フィクション)はイマイチ、と思っている方は考えを改めて頂きたい。この映画にはターミネーター2ヨロシクの人間と機械の友情、そして他人を思いやる気持ちが溢れている。

※一応、リメイク版のレビュとして投稿している。

 

あらすじ(新旧共通)

ある日、のび太の家の庭に空から巨大ロボットの部品が降ってきた。ドラえもんとのび太はそれを組み立てて巨大ロボット“ザンダクロス”を完成させる。ところが、そんな2人の前にロボットの持ち主だという不思議な少女リルルが現われる。彼女はなんと、惑星メカトピアが地球を征服するために送り込んだスパイロボットだったのだが…。(「allcinema」より)

 

機械たちの故郷「メカトピア」、ここは我々が住む地球と同じように力のあるものが弱者を支配する世界。この世界で生まれた機械たち(鉄人兵団)が地球人を奴隷にするために遠路はるばる宇宙を渡り侵略してくる、というインディペンデンス・ディや宇宙戦争、その辺りのSF映画に出てきた展開が話の大筋となる。そんなSF要素バリバリの脚本にファンタジーを嫌味なく入れてしまうのだから、映画・ドラえもんシリーズは侮れない。

アニメ特有の極端な切り口から繰り出される展開があまりにも見事で、ドラえもんの懐の深さを改めて感じる内容だった。優しい描写が多い他の映画・ドラえもんシリーズとは一線を画した本作だが、私はアリだと思った。それはキッズだけではなく、かつてキッズだったであろうオッサンもカッコいいロボットとその戦闘シーンに釘付けになること間違いなしだからだ。この迫力のある戦闘シーンはドラえもん史上に残るだろう。

 

そして、物語には紆余曲折があり少々造形が古い鉄人兵団と「鏡の世界」で一戦を交えることになる。ここは左右があべこべであること以外、現実世界となんら変わらない。しかし、その世界にはのび太たち以外の人間はもちろんその他の生物も存在していない。のび太たちが鉄人兵団に負けてしまった場合、鉄人兵団は鏡の世界から現実に這い出し破壊の限りを尽くしてしまう。このような緊迫した状況でも絶望せず前に進み続けられるのは仲間の存在があってこそだと改めて考えさせられた。やはり、ドラえもん・のび太・しずかちゃん・ジャイアン・スネ夫のチームは最強だろう。これは他のどんなアニメにもない魅力だ。

 

のび太がリルル(鉄人兵団のスパイ)と対峙するシーンがとても良い。リルルに向かって銃口を向けるのび太。しかし、どうしても撃てない。リルルはそんなのび太に「いくじなし!」と叫び攻撃をしてしまう。私はこのシーンを観るたびにのび太が好きになる。それは、彼の「撃たない姿」に人間としてのあるべき姿を教えられた気持ちになるからだ。心を持たない機械は0と1による完璧な判断しかできない、のび太の揺れ動く心にはそれらの数字による判断以上の強さが込められていたように思う。

 

この映画は神ってる(2016年流行語大賞)ので是非ご覧頂きたい。じゃ。

 

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byアホウドリ

【お題】私と黒い鳥

夏の暑い日の朝、颯爽と電車を降りた私は会社への短い道のりを1人歩いていた。周りにはホームレス、ゴミ、白い鳩、ゴミ、そしてまたホームレス。国に見捨てられた都市なのかホームレスに荒らされた環境のせいなのか、兎に角町には活気がなかった。私はこれから始まるデスクワークという名の聖戦に向けて精神を統一(音楽を聴いていた)していたので、外部に対する警戒心は希薄となっていた。

 

青空。ふとした瞬間、不意に何者かが私の頭を叩いた。叩いたと書くと誤解を与えそうなのでキチンと表現すると「柔らかいボストンバックが後頭部に投げつけられたような衝撃」を感じた。やれやれ、ホームレスの仕業か、と呆れながらも「ヤルノカ、コノヤロー」と臨戦態勢をとりつつ振り返った。しかし、そこには誰もいない。そして、何もない。私の肩には黒い羽らしきものがあるだけ。暫く、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。空を見上げると1匹のカラスがけたたましく鳴いている。それは鳥の鳴き声ではなく恐ろしく敵意をむき出しにした咆哮だった。そのカラスを目で追っていると、私の頭の上をぐるぐると旋回し続けていることに気が付いた。

 

犯人はコイツなのか。

 

カラスは電柱にとまり頭上から私を威嚇し続けている。誰かが「猿と目線を合わすな」と言っていたことを思い出した。しかし、「カラスと目を合わすとな」とは言われていない。私は無慈悲なカラスの眼を見た。確実に獲物を見る眼だ。そんな私(獲物)を逃すまいとして、カラスは襲いかかってきた。姿勢を低くして攻撃を2度、3度避ける。カラスの爪が頭上をかすめる度に羽音が耳を突く。私には武器がない。棒さえあれば剣道有段者の実力を出せるのに、と悔しかった。かつて空手を習っている友達に「剣道は武器が無ければ弱い」と言われてしまったので、「剣道で心を鍛える」と負け惜しみを言ってしまったことを思い出していた。走馬灯が脳裏を駆け巡っていたのだろう。ちなみにカラスの最初の一撃で私の剣道で鍛え上げた強いはずの心は無残に砕け散っていた。南無〜。

 

何とか屋根のある場所まで命からがら逃げ込んだ。一息ついて、額から滴り落ちる赤い汗を拭って…赤い?ナンジャ、コリャ。どうやら最初の不意打ちで頭をやられてしまったらしい。悔しい。かくして、我々の戦いは幕を閉じた。その日は釈然としない時間を過ごす羽目になってしまった訳だが、理由は明白だった。

名前も知らないカラスに不意打ちを食らう。こんな避けようがない理不尽な悔しさをどこにぶつければいいんだ、と嘆いたときに、この記事を発見した。

 

kokounobonjin.hatenablog.com

 

2CH風に言うならばクソワロタだ。今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」に選出させて頂いた。今後も面白い記事をお願いします。じゃ。

 

PS.カラス怖すぎ。繁殖期は頭上に注意!

 

byアホウドリ

【雑記】ASKA再逮捕〜栄光・崩壊・再起、そして崩壊〜

少し前の話で恐縮である。先日、チャゲ&飛鳥のASKAが覚せい剤の使用容疑で2度目の逮捕となり、私は「またか」と呟いてしまった。連日連夜、ニュース番組では昔のライブの映像や楽曲が流されていた。我々の心を惹きつける彼の姿(映像)からはミュージシャンとしてのカリスマ性を感じざるを得ない。心から音楽を愛していたのだろう。

しかし、先般マスコミが報道したASKAの逮捕前の様子は我々を心底悲しませた。それは盗聴・盗撮などの妄想を示唆する言動で人間として壊れてしまっていたからだ。私は「壊れる」という表現はとても残酷だと思う。この言葉のニュアンスには何故だか完全には元に戻らない現実を突きつける冷たさがある。きっと覚せい剤や麻薬で壊れてしまった人間の頭は本当の意味で治らないのだろう。ASKAだってそうかも知れない。

テレビ番組などで過去に覚せい剤を使用した人間がインタビューに答えている姿を見ると呆れてしまう。それは彼らの殆どは薬物依存の元凶は「薬」として、自分は完全なる被害者であると信じているからだ。覚せい剤の呪縛は解けることがない。彼らは一生薬のせいにして何事からも逃げて壊れた頭で人生を歩み続けることになる。そして、マスメディアによって見世物にされてしまうのだ。

覚せい剤で人間(人格)が壊れる事は明白だ。でも、まだASKAの再起を信じている自分がいる。普通じゃない。まともな人間ならば1度でも覚せい剤に手を染めた人間を許せるはずがないからだ。そして、人の道を外れたものはそれ相応の社会的制裁を受けるべきだと声高々に叫ぶはずだろう。しかし、何故だかASKAの再起を期待する自分がいるのだ。これは、きっと私だけではない。多くの人が彼の歌声を聞きたいと願っているはずだ。

今回、ASKAに対するマスコミの対応が物議を醸した。それは逮捕前の突撃取材の際にASKA本人の車のエンブレムをへし折り、ボンネットに傷を付けるなどの行き過ぎた行為が視聴者から反感をかったのだ。この姿は海外の過激で低俗なパパラッチを彷彿とさせた。芸能人やミュージシャンのスクープは金になるため、取材対象への接触は強引になりがちだ。この姿が金に群がっているように見えてしまうため「マスゴミ」と揶揄される。

でも、こんな報道を正義とするのなら本当に「マスゴミ」に成り下がってしまうと危惧するのは私だけではないだろう。じゃ。

 

byアホウドリ

【雑記】ゾンビに恋せよ!ウォーキング・デッドのススメ。

ゾンビなんて大嫌いだ。多分、貴方はそう思っているだろう。その気持ちはよく分かる。何故って?私もそうだったから。ゾンビ、クサソウ、キタナイ、キンモーだったのだ。

しかし、今回は年末年始に観るべき海外ドラマとして敢えてゾンビドラマ「ウォーキング・デッド」を勧める事にした。つまらない日常に不満を抱きつつも何となく生きてしまっている貴方へ捧げる正統派ゾンビドラマである。

もちろん、今流行りの覚せい剤と比べると刺激も中毒性も控えめ、そして何より合法的なのでご安心頂きたい。

 

まずシーズン1の粗筋をご紹介しよう。ある日、保安官のリックは逃走中の犯人に撃たれて意識不明の昏睡状態に陥ってしまう。次に彼が目覚めたとき世界は破綻し「ウォーカー」と呼ばれる死者たちが徘徊していた。世界で何が起きているのか、そして愛する家族は無事なのか。

 

そもそも何故、ゾンビが登場する作品は嫌われるのだろうか。それは目玉や内臓がビョーンと飛び出たり、血がプッシャーと吹き出たりする過剰な演出のせいだろう。そして、そんな演出にこだわり過ぎた結果、本来力を入れるべき人物描写などのディテールが中途半端になり全体的なクオリティが低くなってしまっている作品が多いからだと思う。本作は嫌われ者(ゾンビ)をメインに据えているが、決してクオリティは低くなく、寧ろ私はゾンビに恋をしてしまった。本当に恐ろしいのは人間の方だと気付かされてしまったのだ。

正直者が馬鹿を見る、こういった極端な切り口は日本ドラマにない持ち味だと思う。日本ドラマの場合は丸く納める想定内のラストが多いが、本作は正義が死んだ世界が舞台なのでそもそも土俵が違うのだ。視聴者に媚びるドラマは不自然なキャラクタ設定や言動、ギャグなどで逃げ場を作ってしまいがちであるが、ウォーキング・デッドは違った。目を背けたくなるような描写がある、しかし本当に怖いのは目に見えない人間の闇の部分だろう。それを感じさせる巧さ。

この作品からは「生きる価値が有るか無いかは己の行動で決まる」という強いメッセージを感じた。それは善や悪、性別、宗教、ありとあらゆるものが一瞬で消えてしまう現実の厳しさをガッツーンと叩きつけてくる乱暴さにある。忘れていた現実の不条理さを思い出したのだ。

登場人物の中には悪に手を染めてでも大切な人を守る強い意志を持っている者もいる。これは平和な現代(特に日本)ではありえない思考なのかもしれないが本作の荒廃した世界では正義に近いものがあるのだ。我々は秩序で守られた世界で生きている、だから秩序に反する行為をしてはいけない事が当たり前とされている。しかし、この世界ではどうだろうか。生きるために殺す、人間がダークサイドに落ちる様があまりにも見事だ。そして、主人公が必ずしも最良のリーダとして描かれていない部分が素晴らしい。主人公たちが極限の状態で下す判断、それは正解か間違いか。それは貴方自身の目で確かめて頂きたい。

一話見終わった後、次の一話に手を伸ばしてしまう自分がいた。中毒性のあるドラマなので気をつけて頂きたい。

年末年始に観るべき海外ドラマは「ウォーキング ・デッド」で決まりだ。じゃ。

 

byアホウドリ

 

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【映画】漫画は日本が世界に誇る文化だ「バクマン。」感想

 

今や漫画は日本の文化だ。映画「バクマン。」はそんな漫画に青春のすべてを賭けた高校生たちのドラマである。キャストを一見すると佐藤健や神木隆之介などの今をときめく若手俳優を起用しており、汗と涙が飛び散る爽やかな学園ドラマを彷彿とさせる。しかし、違った。この映画で繰り広げられるのは爽やかな学園ドラマからはほど遠い、漫画家として生きる道を選んだ高校生たちの戦う姿だった。「努力・友情・勝利」をモットーに高校最後の大勝負が始まる。

これは漫画家へ贈る最大限のオマージュだ。日本人のみならず海外の人にもオススメしたい作品である。

 

あらすじ

優れた画力を持ちながら将来の展望もなく毎日を過ごしていた高校生の真城最高(佐藤健)は、漫画原作家を志す高木秋人(神木隆之介)から一緒に漫画家になろうと誘われる。当初は拒否していたものの声優志望のクラスメート亜豆美保への恋心をきっかけに、最高はプロの漫画家になることを決意。コンビを組んだ最高と秋人は週刊少年ジャンプ連載を目標に日々奮闘するが……。

 

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漫画家のリアルな生活を描く一方、CGやスタイリッシュな音楽を使った表現が我々を不思議な世界に誘う。例えば、ライバルとの駆け引きを擬似的なアクションとして挿入する事で、観ている人の視覚(目)を通して(彼らが)競り合っている印象を植え付けるのだ。そうする事でよりダイレクトに思考や感情が伝わってきた。漫画の映画化は当たり外れが大きいが映画「バクマン。」は大当たりだ。

 

そして、もうひとつ魅力的なものがある。それはサカナクションが担当する音楽である。私自身がサカナクシャンの大ファンである事を差し引いたとしてもとても良く出来ており、シーンにあった効果的な演出がなされている。例えば、漫画を描く事を題材にした映画らしくペンを走らせる音が徐々に音楽になっていく、こういった遊び心のある表現が映画をより一層盛り上げているのだ。ボーカルの山口一郎氏は楽曲提供するにあたりかなり苦労したらしいが、その甲斐あって正に映画と音楽が一つになっていた。この辺りを意識して観てみると更に映画が楽しくなるかもしれない。漫画を描くというアナログな行為すらポップな雰囲気に表現する事でひと味もふた味も違う完成となっていた。是非、音楽を気にして欲しい。

 

映画としての見せ方が巧く時間を忘れさせてくれる。特に原作(漫画)と映像、そして音楽の異常なまでのシンクロが新しい日本映画の可能性を感じさせてくれる作品であった。日本の漫画の素晴らしさだけでなく、日本の映画の素晴らしさが伝わる作品なので是非観て頂きたい。じゃ。

 

PS.少年ジャンプを読んでいた人はより身近に感じるだろう。ジャンプは偉大なり。

 

byアホウドリ

【雑記】そば湯飲まない論

先日、はてな匿名ダイアリーに「そばの茹で汁(ゆでじる)を平気で飲む彼氏」というタイトルの記事が投稿された。内容を要約すると「彼氏がそばの茹で汁を飲んでいた。茹で汁ごときを健康に良いからといって平然と飲むなんて信じられなーい」という事になる。これに対してネット民からは「そば湯も知らないのか」「それぐらいで人を信じられなくなるものなのか」「まともなそば屋に入った事がないのか」など様々な意見が飛び交っている。やれやれ。

何を隠そう私は「そば湯を飲む派」だ。しかも、出されたそば湯は何だかんだで全て飲み干してしまう程のそば湯大好き人間なのである。だから、そばをオーダーしたのに〆のそば湯が出て来なかったらガッカリしてしまう。もし私がマイウーとか言いながら喜んでそば湯を飲んでいる姿をこの女性が見れば「コイツ、茹で汁飲んでるよ。しかも、全部。キンモー」となるのである。いと嘆かわしい。確かに西日本と東日本、所変われば食も変わる。西日本は東日本に比べるとそば湯を飲む習慣が薄いとされる。しかし、所詮小さな島国・日本である。因みに私は西日本出身だ。もし、本当にこの記事を投稿した女性が「そば湯の存在を知らない」のであれば教えてあげたい。なかなか美味いぜと。

私は知らない事を知らないと告白する事は恥ずかしい事ではないと思っている。しかし、この手の炎上の原因は自分が知らない事を感覚だけでネットに投稿してしまう軽率な行動にある。少し前の話だが日本電気を「町の電気屋」と揶揄(勘違い)した女性の呟きが話題となった。彼女もまた日本電気がNECとは知らず軽はずみな投稿をしてしまったのだ。ネットは一言で多くの人に伝わってしまう怖さがある。仮に今回の件やNECの件を友達に口頭で話していたら大きな反響を呼ぶこともなく終わっていただろう。これはネットでブログを書きツイッターで罵詈雑言を吐き出しているナウでヤングな私自身も気を付けなければならない。明日は我が身。

さて、本題のそば湯についてであるが、私は飲めとは決して申し上げない。確かに「そば湯の中には溶け出た栄養が含まれている」「一口飲めばその店の実力がわかる」など、様々な意見はあると思う。しかし、私のスタンスとしては飲みたきゃ飲めである。あまり他人のテリトリーに深入りするつもりはない。しかし、飲んだ事がない人は是非飲んで欲しい。美味しいから。

これ以上、そばの「茹で汁ごとき」でネットを荒立てるのは止しとしよう。じゃ。

 

byアホウドリ

【映画】めんどくさいから殺していい?「ヒメアノ〜ル」(R15)感想

原作(漫画)は読んでいない。主演の森田剛が素晴らしいとの評判だったので観たかった作品だ。遂にDVDで観る事が出来たので所感を記す。

 

あらすじ

普通の生活に焦燥感を抱くビル清掃会社のパートタイマー岡田(濱田岳)は、同僚からカフェの店員ユカ(佐津川愛美)との恋の橋渡し役を頼まれる。彼女が働くカフェへと足を運んだ岡田は、高校時代の同級生・森田(森田剛)と再会。ユカから森田につけ狙われ、ストーキングに悩まされていると相談された岡田は、森田がかつていじめられていたことを思い出し、不安になるが……。(「シネマトゥデイ」より)

 

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当方、ジャニーズが主演している映画には過大な期待をしないようにしている。それは演技力云々の話ではなく彼らには暗黙のルールとして「超えられない一線」があったからである。ジャニーズが演じる殺人者はクレバーで美しく表現され過ぎており殺人者としての狂気が霞んでしまっている事が多かった。また、必要以上に哀しい過去や同情を誘うエピソードを混ぜ込む事で「本当は悪くない」ような描写が多かった事も苦手なところだった。ジャニーズ流の見せ方といってしまえばそれまでだが、それは私が求めている映画や演技ではなかったのだ。しかし、この森田剛はその一線を遥かに超えていた。この映画で彼が見せた秩序を微塵も感じさせない素行や言動は煌びやかなステージで見せるV6としての顔からは程遠く文字通りクズである。もちろん、これは最大限の褒め言葉として受け止めて頂いて結構だ。

そして、暴力や殺人、レイプなどの犯罪に縁がない青年を演じるは濱田岳。夢も希望もない今時の若者感が良い。社会で疲弊し自分の不遇を自虐的に語る濱田の姿は自分自身と重なる人も多いと思う。普通の人間ならば森田ではなく浜田の方に共感を持つだろう。だからこそ、森田の異常な行動が際立ち観ているものを掴んで離さない。森田の対極に濱田を起用したのは最高だった。

また、忘れてはいけないのがムロツヨシ。最近、バラエティに多数出演し人気上昇中の彼だが、この作品でも目が話せない存在であった。無駄にポジティブ、無駄にアクティブ、そして無駄に正義感の強い彼の姿は主演の2人を飲み込む存在感があった。この狙っても出せるようなものではないキモさは演技を超えた彼本人のオーラではないか。これも褒め言葉である。

異常な森田剛と普通の濱田岳、そしてキモいムロツヨシが映画を引っ張っているのである。面白くない訳がない。

 

粗筋は何処かで聞いた事があるような印象を受けるが、個人的にはキャラクタありきの映画だと思うので、無理やり紆余曲折を混ぜ込む展開にせず、構成を分かりやすくした事は評価したい。しかし、ミステリィが好きだからという理由だけで本作を観ようとするのは止めた方が良さそうだ。推理的な要素は皆無で過度のバイオレンスなシーンがある。その事を念頭に置き鑑賞願いたい。

 

序盤の緩やかな展開から一変、中盤から終盤にかけては怒涛の森田ラッシュだ。レビュなどでシリアルキラーやサイコパス、快楽殺人者などの表現をされているが実のところ特別な印象はない。寧ろ特別な感じがしないからこそ感じる日常に潜む狂気があった。

この映画は分かりやすい。見た感じ普通の人が実は殺人者だったのではなく見た目からして危なそうな奴が殺人者なのだ。この当たり前感が「ヒメアノ〜ル」の怖さなのかも知れない。内面は外面に現れるのだろう。じゃ。

 

byアホウドリ