或る阿呆鳥に呟く。

~映画、子育て、雑記、何でもありの備忘録〜

【雑記】私が夢の国(ディズニーランド)に行かない理由 〜ミッキーマウスはパンドラの箱なのか〜

恥ずかしながら告白しよう。私は生まれてこのかた「ディズニーランド」に行った事がない。そう、かの有名な「夢の国」に行った事がないのである。これは現代の日本人として恥ずべき事なのかもしれない。

大阪で生を受け早36年、新幹線を使えば千葉は決して遠くない距離である。隣の東京には何度も行ったのだが夢の国まで足を伸ばす事は一度もなかった。

何故、私がこれ程までに夢の国に行かなかったのか、今回記事としてみた。

 

小さい頃の話である、祖父と祖母が夢の国に連れて行ってくれるという話が持ち上がった。従兄弟たちは大喜びで感情を爆発させていた。これが普通の子供の反応なのかもしれない。夢の国は特別だから。

しかし、私は結局行かなかった。いや、行かなかったのではない、行けなかったのだ。

 

何故行けなかったのか。単刀直入に申そう、それは「着ぐるみ」が苦手だからである。はぁ?と思われた方、もう少しお付き合い頂きたい。

多分一種のトラウマなんだと思う。着ぐるみには中に誰(何)が入っているか分からない怖さがある。テレビアニメを見る限りミッキーマウスは良い奴だと思う。これは私も理解しているつもりだ。

でも、夢の国にいるヤツはミッキーマウスの皮を被った邪悪な「何か」かも知れない。裏では子供をムシャムシャと食べているかもしれない。子供の頃は本気でそう考えていたのだ。

 

恐らく何かしらのトラウマとなる出来事があったのだが、恐怖のあまりその部分の記憶が欠落してしまっている。いわゆる自己防衛本能の働きというヤツだ。

もしかしたら、そのトラウマはかつて両親にヒーローショーに連れて行ってもらった時、ヒーローにさらわれそう(舞台に上げられそう)になったからかも知れない。あの時の恐怖は忘れない。怪人ならまだしもヒーローにさらわれそうになったのだ、これ程の恐怖体験は無いだろう。

 

私は宗教や信仰などの見えないものを信じることができない質である。別にそれらを否定している訳ではない。どうも小さい頃から形のないものを受け入れる事が苦手であった。それは今でも変わらない。

 

ミッキーマウスを例えるのなら「パンドラの箱」ではないか。 

 

パンドラの箱

ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。(「コトバンク」より)

 

決して開けては行けない箱(顔)。ミッキーマウスの顔を取る事で「すべての災い」が世に解き放たれる。そこは病気・災害・殺人が常に起こるカオスな世界。危険なネズミだ。

でも、少し考え方を変えてみよう。既にミッキーマウスからすべての災いは解き放たれており、彼の中に残っているのは「希望」だけだとしたら。

そう考えると彼はこんな混とんとした時代における救世主ではないか。だから皆は彼に会いに行くのか。これについては今まで夢の国に行った事のない人間が言及できるものではない。

 

私には4歳になる息子がいる。彼は私と違って夢の国に行きたいらしい。これは神が私に与えた試練である。私は自分のトラウマと息子の希望を比較する。やはり息子の希望を取るだろう。

かつて忌み嫌った夢の国に息子と行ってミッキーマウスは「すべての災い」なのか「皆の希望」なのかこの目で確かめる必要がある。

そして、過去のトラウマに打ち勝つ。

 

じゃ。

 

PS.今回の記事は夢の国とミッキーマウスを批判している訳ではない事を申し添えておく。

 

byアホウドリ