或る阿呆鳥に呟く。

~映画、子育て、雑記、何でもありの備忘録〜

【雑記】「私の時代は〇〇だった」は伝わらない。

題名の通りである。先日、家でテレビを観ていたときに違和感を覚えた事があった。テーマ毎に賛否を問うコーナーで一般人が街頭インタビューに答えていたときの事である。

そのとき、賛成・反対の理由を尋ねられた人は「私の時代は〇〇だったから〇〇」と答えていたのだ。今回はこの言い回しについて少し考えてみた。

 

確か質問は「マタニティマーク(※)は必要か」というものだった。

※妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするもの。 

インタビューを受けた初老の女性は「私の時代は自分のことは自分で守った。マタニティマークなんて要らない」という回答をしていた。

これを観た妊婦、若しくは妻が妊娠している夫は「昔とは時代が違う」と思った事だろう。その通りである。かつての日本に比べると妊婦に優しい設備が多くなったとはいえ、まだまだ整備できていない部分もあるのが現状である。特に不特定多数の他人が利用する公共の交通機関などでは昔以上に危険が潜んでいるのである。

 

恐らく女性が言いたかったことは「私の時代は」の部分ではなく、「自分のことは自分で守る事が大切」という部分ではないか。ここで「私の時代は」と先に言ってしまうと今から話す事は過去の話になってしまい、実際に伝えたい事がいまいち伝わらない事が多くなる。

その結果、時代錯誤も甚だしいと思われてしまうのだ。昔はできたが、今はできないなんて話はよくあることだと思う。時代は常に流れ、その中で人は生きている。人は生きているうちは時代に合わせた生き方をする必要があるのだ。

 

部下に「オレの時代は足で稼いだ」とか言ってないだろうか。それは時代が違うと思われているだろう。伝えたことは「オレの時代は」の部分ではなく「マメに足を運ぶ事の大切さ」ではないだろうか。

 

人間は都合よく自分が中心であると錯覚してしまう。それは性別・年齢などは一切関係ない。たまに周りを見回してみると、如何に自分が中心からズレていることが分かるだろう。そう、自分は決して時代の渦の中心などではなく、ただ周りで踊らされているのにすぎないのである。もちろん、時代を自分の手で回す人もいるだろうが、少数であることは間違いない。

 

皆さんは子供や部下を叱責するときに「私の時代は〇〇」と話始めていないだろうか。もしこの言葉を言っていたら伝えたい事の半分ぐらいしか相手には伝わっていない。 聞く側の立場に立って教えてあげる事も必要ではないだろうか。

 

じゃ。

 

byアホウドリ