或る阿呆鳥に呟く。

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【雑記】30年以上、防災グッズを用意していたが使った事はない~防災の日~

今週のお題:防災の日

9月1日は防災の日である、この事実を知っている人はどれぐらいいるのだろう。私自身、ニュースで防災訓練が取り上げられているのを見て思い出したぐらいである。世間でも防災の日を意識している人は少ないのではないか。折角なので、今日は防災について考えてみた。

 

母は私が生まれるのと同時に防災グッズを用意した。そのカバンの中身は食料(乾パン)、飲料水、ラジオ付き懐中電灯(自家発電可)、その他細々とした物、であった。これは広く一般的に見ると備えている方だと思う。備えあれば憂いなしである。

しかしながら、私は30年以上生きているが幸い防災グッズを使う機会は1度もなかった。中学生の頃、私は大阪府(枚方市)で阪神大震災に遭遇した。突然、激しい揺れに襲われ本棚からは大量の本が落下した。しかし、大きな被害はなく、防災グッズも使わなかった。

その20年後、母親は災害に備えていた防災グッズを1度も使うことなく病気で他界してしまった。

 

災害を幾度も経験する人は少ない、寧ろ殆どの人は何十年と経験しないだろう。その月日が長ければ長いほど災害に対する警戒心は薄くなる。その結果、防災グッズを用意せず、自分の避難所の場所も知らず、何の備えもないまま日常を過ごしてしまう。

私自身、結婚して5年ほどになるのだが、防災グッズは用意していない。辛うじて避難場所は知っている程度だ。

人間は一度失敗すると次は失敗しないようにする。しかし、一度も失敗をしないまま大きな失敗をしてしまう(備えがないまま大きな災害が起こる)とどうだろうか。

 

費用対効果という言葉がある。私の母は防災グッズにお金を掛けていた。しかしながら、その効果を発揮することなく母は生涯を終えたのである。用意していたのに使う事はなかったのだから、費用に対する効果はなかったと私は考えていた。

しかし、よく考えるとそうではない。私が無駄だと思ったのは結果論だ。実際、災害グッズを持たずして災害が起こったとき、次こそは備える、なんて言えるのか。決して、言えないだろう。

 

母が見せた災害に備える姿は決して無駄などではなく、息子である私自身に「いつ起こるか分からない災害に備えて欲しい」という事を示していたのではないか。その母親を見て、私が災害に備え、私の姿を見て息子が後世に継いでゆく。こんな防災ルーチンも有りなのかな、と思う今日この頃であった。じゃ。

 

PS.最低限の食料と水をリュックに詰めるところから始めよう。

 

byアホウドリ