或る阿呆鳥に呟く。

~ジュニアテニス、映画、雑記、何でもありの備忘録〜

【雑記】爆死する老人

殺人、傷害、強姦、窃盗、各種犯罪がマスメディアを賑わしている今日この頃。どんな犯罪でもメディアを通した分、現実味が薄れ我々第三者は「あぁ、またか」と呟いてしまう。結局は別の世界で起こった出来事なのかも知れない。

 

宇都宮市の元自衛官(72)が爆死をしたそうだ。本人の遺体はバラバラとなって無残に飛び散り、無関係の人間をも巻き込む惨事となった。いや、むしろ警察の調査が進むにつれて無差別テロのように「人を巻き込むため」に爆死という死を選んだ事が分かってきた。どうも家庭事情のもつれが惨劇の発端になっているらしいが正直阿呆らしいと感じた。きっと現状に悩んだ挙句の行動だったのだろうが、それが何故他人を巻き込む爆死になるのか。この手の人間の思考は常人では想像できない回路で動いていると思うのだが兎に角阿呆らしい死に方だ。

 

私はすべての自殺を否定するつもりはない。しかし、それが起こってしまった背景に着目するべきだと思っている。それは、決して自殺は当事者だけに問題があるのではなく様々な外的要因により自殺という最悪の結果を選択せざるを得ない状況に陥る事があるからだ。

しかし、今回の事件は不条理で理不尽で納得のいかない結末だ。怒りの矛先を自分だけではなく、赤の他人にも向けてしまった老人の身勝手な行動が私をやるせない気持ちにさせた。老人は犯行前、先祖の墓を訪れていたらしい。先祖(死んだ人間)に頼り、生きている人間を殺そうとするなんて馬鹿げている。異常。この老人の大義は爆弾で他人を巻き込んで自殺する事だったのか。これまでの人生もろとも爆破するなんて余程つまらない人生だったのだろうかと想像してしまった。

 

昔、道徳の授業で自殺について考えた事がある。

 

自分の体なのに何故、殺してはいけないのか。

 

周りに迷惑をかけるから。

誰にも迷惑をかける事なく樹海で死ねば良いのか?

残された人間が悲しむから。

残された人間がいなければ良いのか?

 

いくつか意見が出た。でも、結局答えは出なかった。

 

しかし、先日見た海外ドラマで気になる言葉を発見した。男性が生きる事から逃げつつあった少女に言った言葉だ。

 

愛する人たちが今の君を作った。君の一部だ。自分を捨てたら君の中に宿った彼らも消える。(「ウォーキング・デッド」より)

 

人間は多くの人に助けられて成長する。助けてくれた人々は自然と自分の一部となり形成される。だから、自分で自分を殺す事は助けてくれた人たちを殺す事にも繋がる。私はそう受け止めた。

 

結局、今回の爆破の被害者は老人や老人の人生、そして赤の他人だけではなく、これまで老人を支えてくれた多くの人間にも及んでしまったのだろう。じゃ。

 

byアホウドリ