或る阿呆鳥に呟く。

~ジュニアテニス、映画、雑記、何でもありの備忘録〜

【雑記】助けを必要としていない人に手を差し伸べる価値

多種多様な人間が日常の移動手段として利用する電車。そこは電車男然り、映画顔負けのドラマだって潜んでいるパンドラの箱ではないだろうか。そんな赤の他人、未確認生物、魑魅魍魎がひしめき合うような異次元の空間において、私はいつも1人の「人間」に注目してしまう。

 

男性、年齢40歳前後、体系普通、リュック、杖を所持、ここまで説明すれば勘のいい皆さんなら大体の容姿が想像できるだろう。そう、至って普通の男性である。唯一つ、目が見えないことを除いては。

 

彼はいつも同じ時間の電車に乗っているのだが、その動作たるや「神業」と呼んでもいい。電車がホームに到着し、ドアが開き、乗客が降りる、そして、素早く杖で進路を確認し、右足から乗り込む。その後、すっとドア付近の手すりに掴まり、他の乗客の邪魔にならないように鞄の位置を変える。この一連の動作があまりにも見事で美しい。何か能や歌舞伎にも通ずる日本の伝統芸能を感じさせるような洗練された動きがある。兎に角、自然体で無駄がない。

恐らく盲目の方は我々健常者と比べると視覚以外の感覚が卓越しているのだと思う。現代のデジタル機器によって退化された人間にはない生物としての基本的な能力を感じさせるものがある。

 

そんな彼に突然訪れたアクシデント。それは1人の老人の「優しさ」だった。私はその日の出来事を忘れない。

 

いつものように彼は電車を待っていた。電車がホームに到着した。数人の乗客が降り、彼が乗り込もうと右足を上げた瞬間、1人の老人が彼の肩をぐいっと引っ張り、大声で「どこまで行くんですか!?」と言ったのだ。そう、ぐいっと引っ張って。想像してみよう。目を瞑った状態で誰ともわからぬ老人から大声で行き先を問われたらパニック状態に陥るだろう。まさに彼がその状態に陥ってしまったのだ。

恐らく彼の通勤はルーチンだ。長年かけて身につけた習慣といっても過言では無い。それが、1人の老人の「親切」によって崩されたのだ。果たして、この行為に価値はあるのか。

結果、彼は座りたくもないのにシートに座らされてしまった。その後、ルーチンを崩されてしまった彼の行動は散々たるものであったことは言うまでも無い。

 

さて、親切ってなんだろう。ネットで検索してみた。「思いやりが深く、ねんごろなこと。」らしい。恐らく老人は良い人なんだと思う。しかし、結果として彼の為になっていないし、寧ろ「お節介」だったと思う。思いやりはする側される側の利益が発生してこそ意味のある行為になると思う。

今回の話に悪役は登場しない。なのに何故だか残念な気分にさせられるのは私だけではないはずである。相手の立場に立って考えて行動することが親切なのではないかという話。じゃ。

 

byアホウドリ