或る阿呆鳥に呟く。

~ジュニアテニス、映画、雑記、何でもありの備忘録〜

【読書】「フォグ・ハイダ」(著森博嗣)

以前、こんな記事を書いた。

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人気小説の映像化は、その行為そのものがマーケティング的にはオッケーになるのだろうが、原作のファンからするとガッカリすることが多い。それは、読み手が頭の中でキャラクタを自由に作る(想像する)という醍醐味が損なわれてしまうからだと思う。自身が小説を読み作り上げたキャラクタ像と原作者以外の赤の他人(映画監督)が勝手に作った人物像がマッチすることは極めて稀であり、その乖離に落胆してしまうからだろう。だから、私は手放しに小説の映像化を喜べないのだが、そんな大きなリスクを前にしても映像化をして欲しい作品がある。それが今回ご紹介する「フォグ・ハイダ」である。本作は「ヴォイド・シェイパ」シリーズの4作目に当たる。

森博嗣氏はその作風上、理系ミステリ作家と形容されることが多いが、このシリーズは氏のイメージを完全に破壊する時代劇である。

 

あらすじ

山の中で盗賊に襲われたゼンは、用心棒らしき侍と剣を交える。強い。おそらく、勝てない―歴然たる力の差を感じながらも辛うじてその場を凌いだゼン。彼を戦慄させた凄腕の剣士には、やむにやまれぬ事情があった。「守るべきもの」は足枷か、それとも…。(「BOOK」データベースより)

 

フォグ・ハイダ - The Fog Hider (中公文庫)

フォグ・ハイダ - The Fog Hider (中公文庫)

 

 

所感

侍のあるべき姿とは、我々現代人が期待する侍像であり、必ずしも、かつて実際に存在していた侍全てがその期待通りの姿であったわけではない。エンターテイメントとして表現される侍は、現代人が期待する侍像を具現化しているに過ぎず、義理人情、忠誠、大義、信念、正義、などの所謂「枠」にはまってしまっている。そういった鉄板の侍の表現とは一線を画しているのが本作だと思う。悪人を懲らしめる。それは多くの時代劇において刀を握り人を斬る「正当」な理由とされるが、現実は必ずしもその建前が当てはまるとは限らない。理不尽な人生にその身を委ねることでしか生きることができない侍だって存在する。いや、実在した侍は殆どそうだったのではないか。本作は不器用ながら必死に生きる侍たちの物語だ。

 

刹那を表現したコマ送りのような殺陣や随所に散りばめられているポエム調の抽象的な表現が読み手の感受性を掻き立ててくる。こういった表現は、死闘の中に生まれる心情を走馬灯のようにゆっくりと味わい深く表現するには良いのだが、小説の流れを狂わせてしまう事が多いと思う。しかし、この辺りは如何にも森博嗣氏の作品、という気がして私は大好きだ。

 

自分が小説を読んで作り上げた世界観や人物像を赤の他人に捻じ曲げられることには抵抗がある。

それでも尚、映像化を期待するのはこの美しい文章を如何に映像として表現するのか気になるからだ。森博嗣氏の作品を映像化したものは今の所全て失敗とだと思っているが、次こそは、と期待を込めたい。じゃ。

 

byアホウドリ

【雑記】自分は何から産まれたのだろうか、と疑問に思う。

哲学的な話ではない。ただ、自分は何から産まれたのだろうか、と思うことがある。そりゃ母親だろう、とお思いの方、大正解だ。父と母がいてこそ子は生まれる。こんな事、子どもだって知っている事実だ。私だってそう考えていた、母親が亡くなるまでは。

私の母親は数年前に病気で他界した。そのとき、純粋に「母親がいなくなった」ことを悲しむ感情と、「自分の出生を証明する人がいなくなってしまった」という喪失感に似た感情が生まれた。前者の悲しむ感情は時の経過とともに癒えて来ている(恐らく受け入れているのだろう)が、後者の感情は日に日に強くなっている気がする。夜、ベッドに潜り込み、静寂の中でふと考えてしまうのだ。私は何者だろうか?と。

因みに私の父親は健在だ。しかし、どうも自分の産まれた場所(母体)がなくなってしまったという事実は、妙な違和感があり、突然自分の存在が不確かになってしまったような気さえするのだ。何というか母親の存在は「故郷」のようなものなのかも知れない。それがなくなると、完全なる異国の地に迷い込んでしまったような不安な気持ちが発生するのだと思う。

 

親子の縁を切る。私から言わせれば、親子の縁は切らなくても切れる、だ。結局は親か子の何方かが先にいなくなるのだ。だから、親が子を殺す、子が親を殺すような事件を見ると、どんな理由があるにせよ途轍もない残念な気持ちになる。別に縁を切りたくなくても、切れてしまうような場合だってあるのだから。

 

死後の世界。私はそれを信じていない、だから墓の前で手を合わせることにも違和感を感じていた。しかし、人は手を合わすことで故人(親)との縁を保とうとしているのかもしれない。母親が亡くなってからは、少しだけ墓の前で手を合わせる人の気持ちがわかったような気がする。

 

血は水よりも濃い。言い得て妙だろう。でも、決してそれだけが正しいとは限らない。実際、人は見ず知らずの赤の他人と出会い、恋愛・結婚し、子どもを授かる。例え本当の自分の子ではなくても(血は繋がっていなくても) 、本当の親子以上に親子にだってなりうる。本当に不思議だ。

 

最後。さて、話は脱線しつつあるので元に戻そう。自分の子供を見ていて気が付いたことがある。それは「自分は何から産まれたのだろうか」と悩むのではなく、「自分は何に向かって生きていくか」と未来を見据えて生きていくことが大切なんだと。たまには過去も振り返るけどね。じゃ。

 

byアホウドリ

【お題】ナウでヤングなドーナッツをこよなく愛した青春の日々。

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

 

私は「ひとり飯」を食べることがあまりない。確か1カ月ほど前、10年ぶりぐらいに1人でカップラーメンを食べた記憶はあるものの、どこのカップラーメンだったかは全く覚えていない。そんな私であるが、学生時代に食べたひとり飯は強烈な印象がある。

 

そのひとり飯は宮田製菓の「ヤングドーナッツ」である。

 

学生時代、ヤングドーナッツはオヤツではなく、まさしく主食だった。だから、私を育てたのは両親とヤングドーナッツと言っても過言ではない。

当時、私が通っていたお菓子屋さんは昔ながらの駄菓子屋だった。小さい店内には、これでもかと言わんばかりに駄菓子が敷き詰められており、少ないおこずかいでも十分に「選ぶ楽しさ」が満喫できた。いつ訪れても新しい駄菓子に出会える、そんな場所だったのだ。部活の帰り道、人知れず駄菓子屋に寄って、ひとり駄菓子を食べながら帰宅したのは、青春の良い思い出である。

 

私は数ある駄菓子の中でもヤングドーナッツを好んで食べていた。それは、値段が安い、食べ応えがある、そして美味いと三拍子揃った最強の駄菓子だったからである。 

ヤングドーナッツは平成元年に発売され、既に27年が経ち、移り変わりの早い駄菓子界の中では超ロングセラー商品となっている。今現在、駄菓子界のレジェンドと呼ぶに相応しいキャリアの持ち主となったのだ。

 

そんなヤングドーナッツであるが、実際、食べたことがない人も結構いると思うので、少しだけご紹介しよう。ヤングドーナッツの外側は砂糖ベースで少し歯応えをもたせつつ、中はしっとりと絶妙な柔らかさをキープしており、他の駄菓子と比べると高級感に溢れた味付けとなっている。そして、大人になってからも、ヤングドーナッツは昔と変わらずに食べる事が出来る。何故なのか。それは、決して甘いだけの駄菓子ではないからだろう。バファリンの半分は優しさで出来ているそうだが、ヤングドーナッツの半分は子供への思いやりで出来ているのだ。実はヤングドーナッツのコンセプトは「子供向け」だそうだ。それが、大人の私たちにもしっかりと伝わってくるから、いつ食べても美味しいのだろう。

 

クックパッドなどにはヤングドーナッツにひと手間加えるだけで、さらに美味しくなる魔法のレシピも掲載されている。たかが駄菓子と思うなかれ、このひと手間で駄菓子特有の安っぽさがキレイに抜け、百貨店に置いてあるような「お菓子」になるのだ。

さらに、ヤングドーナッツの魅力は味だけではない。なんと40円、1個ではなく4個入りでだ。スッゲー。

そんな、圧倒的コストパフォーマンスを誇る駄菓子界のレジェンド、皆さんもこの週末、ヤングドーナッツ片手にピクニックにでも行ってはどうだろうか。きっと、ナウでヤングなドーナッツの虜になること間違いなしである。じや。

 

byアホウドリ

 

宮田製菓 ヤングドーナツ 4個入り × 20個

宮田製菓 ヤングドーナツ 4個入り × 20個

 

 

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【ライフ】システム手帳「LUFT(ルフト)」について語らせてくれ。

私は人生の大半をかけて「手帳は高橋」と高橋書店からの使者の如く、それを周りの人間に勧めてきた。周りから見ると、その姿はまるで壊れたゼンマイ人形のようで滑稽だったであろう。今もなお高橋書店の手帳が優れていることは疑う余地のない事実であるが、私自身が30代後半に差し掛かり、ようやく「自分仕様の手帳」が欲しいとの考えに至った。この手帳というものはなかなか奥が深いもので、一長一短という言葉をそのまま現物に投影したかのようなものだと思う。

私の手帳選びは自分自身の使用要件を整理するところから始まった。生まれつき見栄っ張りな性格なのだろう、人よりも良く見られたいと思う気持ちが強かった。だから手帳にだって妙にこだわりたかったのだ。そんな私の使用要件は下記のとおりであった。

 

  • ビジネスで使える
  • オシャレ(に見える)
  • シンプル(嵩張らない)

 

うん、めっちゃ普通。

 

そして、こんな我が儘な私の使用要件を満たすシステム手帳が「LUFT(以下カタカナで「ルフト」と書く)」だ。この手帳の最大の特徴は兎に角シンプルな構造となっていること。一枚の革カバーにリング、そしてそれを固定するバックプレートだけで構成されている。革カバーにはポケットなど便利野暮なものは一切付いていない。それでいて、チープな印象を微塵も与えず、寧ろ「侍」のような高貴な潔さすら感じさせる手帳だ。我々、企業戦士の大切なパートナーとなること間違いなしである。私は広い世界からルフトをロフトで見つけた。(洒落ではなく事実です)

 

ルフトの価格は6,500円(税抜き)なので、決して安くはないのだが、毎日時間を共にする相棒的存在なので、自分の納得のいく買い物をして欲しい。ちなみに「システム手帳あるある」を1つ挙げるとすれば、カスタマイズにこだわり過ぎて、本体以外(リフィルなど)にお金を使い過ぎてしまうことだ。私も例に漏れることなく、かなり予算をオーバしてしまったことはいうまでもない。でも、楽しー。

 

それでは前置きが長くなってしまったが、写真とともにルフトの魅力を紹介する。

 

LUFT(ルフト)

化粧箱

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一年使い切りの手帳にはない高級そうな化粧箱に入っていた。人によっては「化粧箱なんかに金をかけるな」とこれを無駄に思うかもしれない。しかし、一見無駄に思えるような気配りも特別な感じがして嬉しいじゃないか。

 

開封

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化粧箱もさることながら不織布に包まれた姿は、まるで高級バックのようだ。手に取ってみると、ほんのりと革独特の香りを醸し出していた。これから始まるシステム手帳生活のドキドキ感が止まらない。こういった演出も含めて高いお金を払う価値があるのだろう。ちなみに1年間の保証期間付きである。

 

手帳(正面)

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初めて手に取って感じたことを素直に言葉にすると、薄くて軽い、だ。表面には余分な装飾は一切なく、素材で勝負をしている大人の手帳の風格を感じた。そして、色合いが素晴らしい。更にシュリンク型押しの手触りも良い感じだ。これを選んで大正解。

 

手帳(斜め)

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このアングルから見ていただくとルフトの薄さとシンプルさを感じていただけるだろう。シンプルと質素の違いを感じるアングルだ。レザーは柔らかくて使い初めから手に馴染む。

 

手帳(背面)

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ルフトのシンプルなデザインの中で一際輝きを放つのがこのバックプレートである。研ぎ澄まされた日本刀のように美しい。ルフトには3種類のレザーが用意されており、各レザーごとに違うバックプレートが装着されている。私の03モデルは「クロムブラック」、いぶし銀的な存在感を放つ憎い奴である。

 

手帳(見開き1)

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手帳を開くとブランド名が見える。手帳の内側も抜かりなくシンプルにまとめられている。ちなみに、左側に見える青いプレートは別売りである。

 

手帳(見開き2)※リフィルは別売り

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柔らかいレザーなので180度に開く。机の上に置いて記入する場合はとても描きやすい。

 

使用感

ルフトはドイツ語で「空・空気」を意味する言葉らしい。その名前に偽りはなく本当に薄くて軽い。リング径は11センチなので通常のバイブルサイズの手帳(15センチ)と比較するとかなり薄く感じるだろう。私の場合は半年分のスケジュールをルフトにセットしており、残りは別のバインダに保管している。なるべくルフトの薄い・軽い・美しいという魅力を消すことなく利用したいと思っているからだ。

 

今回はシステム手帳「ルフト」を紹介した。私はビジネスで使用しているがルフトには様々なカラーが用意されているので女性にもお勧めしたい。

また、ルフトを最大限自分仕様にカスタマイズするべく色々なリフィルを購入しているので、次はそちらをご紹介したい。じゃ。

 

byアホウドリ

【雑記】助けを必要としていない人に手を差し伸べる価値

多種多様な人間が日常の移動手段として利用する電車。そこは電車男然り、映画顔負けのドラマだって潜んでいるパンドラの箱ではないだろうか。そんな赤の他人、未確認生物、魑魅魍魎がひしめき合うような異次元の空間において、私はいつも1人の「人間」に注目してしまう。

 

男性、年齢40歳前後、体系普通、リュック、杖を所持、ここまで説明すれば勘のいい皆さんなら大体の容姿が想像できるだろう。そう、至って普通の男性である。唯一つ、目が見えないことを除いては。

 

彼はいつも同じ時間の電車に乗っているのだが、その動作たるや「神業」と呼んでもいい。電車がホームに到着し、ドアが開き、乗客が降りる、そして、素早く杖で進路を確認し、右足から乗り込む。その後、すっとドア付近の手すりに掴まり、他の乗客の邪魔にならないように鞄の位置を変える。この一連の動作があまりにも見事で美しい。何か能や歌舞伎にも通ずる日本の伝統芸能を感じさせるような洗練された動きがある。兎に角、自然体で無駄がない。

恐らく盲目の方は我々健常者と比べると視覚以外の感覚が卓越しているのだと思う。現代のデジタル機器によって退化された人間にはない生物としての基本的な能力を感じさせるものがある。

 

そんな彼に突然訪れたアクシデント。それは1人の老人の「優しさ」だった。私はその日の出来事を忘れない。

 

いつものように彼は電車を待っていた。電車がホームに到着した。数人の乗客が降り、彼が乗り込もうと右足を上げた瞬間、1人の老人が彼の肩をぐいっと引っ張り、大声で「どこまで行くんですか!?」と言ったのだ。そう、ぐいっと引っ張って。想像してみよう。目を瞑った状態で誰ともわからぬ老人から大声で行き先を問われたらパニック状態に陥るだろう。まさに彼がその状態に陥ってしまったのだ。

恐らく彼の通勤はルーチンだ。長年かけて身につけた習慣といっても過言では無い。それが、1人の老人の「親切」によって崩されたのだ。果たして、この行為に価値はあるのか。

結果、彼は座りたくもないのにシートに座らされてしまった。その後、ルーチンを崩されてしまった彼の行動は散々たるものであったことは言うまでも無い。

 

さて、親切ってなんだろう。ネットで検索してみた。「思いやりが深く、ねんごろなこと。」らしい。恐らく老人は良い人なんだと思う。しかし、結果として彼の為になっていないし、寧ろ「お節介」だったと思う。思いやりはする側される側の利益が発生してこそ意味のある行為になると思う。

今回の話に悪役は登場しない。なのに何故だか残念な気分にさせられるのは私だけではないはずである。相手の立場に立って考えて行動することが親切なのではないかという話。じゃ。

 

byアホウドリ

【映画】ドラえもんこそ最高のSFだ「映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団」感想

今回は映画・ドラえもんシリーズから「新・のび太と鉄人兵団」をご紹介したい。この作品は1986年に制作されたオリジナル版と2011年に制作されたリメイク版の2つがある。ネット上ではこれら2つを対比するかのようなレビュが散見されるが、それは野暮というものだろう。事実、製作された年代や声優、そして(一部)脚本だって違うのだから安易な比較はできないし、したところでそこに価値はない。ただ、どちらの作品にも言えることは、出会い、別れ、そして再開といった「感動のツボ」を押さえた良作だということである。アニメのSF(サイエンス・フィクション)はイマイチ、と思っている方は考えを改めて頂きたい。この映画にはターミネーター2ヨロシクの人間と機械の友情、そして他人を思いやる気持ちが溢れている。

※一応、リメイク版のレビュとして投稿している。

 

あらすじ(新旧共通)

ある日、のび太の家の庭に空から巨大ロボットの部品が降ってきた。ドラえもんとのび太はそれを組み立てて巨大ロボット“ザンダクロス”を完成させる。ところが、そんな2人の前にロボットの持ち主だという不思議な少女リルルが現われる。彼女はなんと、惑星メカトピアが地球を征服するために送り込んだスパイロボットだったのだが…。(「allcinema」より)

 

機械たちの故郷「メカトピア」、ここは我々が住む地球と同じように力のあるものが弱者を支配する世界。この世界で生まれた機械たち(鉄人兵団)が地球人を奴隷にするために遠路はるばる宇宙を渡り侵略してくる、というインディペンデンス・ディや宇宙戦争、その辺りのSF映画に出てきた展開が話の大筋となる。そんなSF要素バリバリの脚本にファンタジーを嫌味なく入れてしまうのだから、映画・ドラえもんシリーズは侮れない。

アニメ特有の極端な切り口から繰り出される展開があまりにも見事で、ドラえもんの懐の深さを改めて感じる内容だった。優しい描写が多い他の映画・ドラえもんシリーズとは一線を画した本作だが、私はアリだと思った。それはキッズだけではなく、かつてキッズだったであろうオッサンもカッコいいロボットとその戦闘シーンに釘付けになること間違いなしだからだ。この迫力のある戦闘シーンはドラえもん史上に残るだろう。

 

そして、物語には紆余曲折があり少々造形が古い鉄人兵団と「鏡の世界」で一戦を交えることになる。ここは左右があべこべであること以外、現実世界となんら変わらない。しかし、その世界にはのび太たち以外の人間はもちろんその他の生物も存在していない。のび太たちが鉄人兵団に負けてしまった場合、鉄人兵団は鏡の世界から現実に這い出し破壊の限りを尽くしてしまう。このような緊迫した状況でも絶望せず前に進み続けられるのは仲間の存在があってこそだと改めて考えさせられた。やはり、ドラえもん・のび太・しずかちゃん・ジャイアン・スネ夫のチームは最強だろう。これは他のどんなアニメにもない魅力だ。

 

のび太がリルル(鉄人兵団のスパイ)と対峙するシーンがとても良い。リルルに向かって銃口を向けるのび太。しかし、どうしても撃てない。リルルはそんなのび太に「いくじなし!」と叫び攻撃をしてしまう。私はこのシーンを観るたびにのび太が好きになる。それは、彼の「撃たない姿」に人間としてのあるべき姿を教えられた気持ちになるからだ。心を持たない機械は0と1による完璧な判断しかできない、のび太の揺れ動く心にはそれらの数字による判断以上の強さが込められていたように思う。

 

この映画は神ってる(2016年流行語大賞)ので是非ご覧頂きたい。じゃ。

 

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byアホウドリ

【お題】私と黒い鳥

夏の暑い日の朝、颯爽と電車を降りた私は会社への短い道のりを1人歩いていた。周りにはホームレス、ゴミ、白い鳩、ゴミ、そしてまたホームレス。国に見捨てられた都市なのかホームレスに荒らされた環境のせいなのか、兎に角町には活気がなかった。私はこれから始まるデスクワークという名の聖戦に向けて精神を統一(音楽を聴いていた)していたので、外部に対する警戒心は希薄となっていた。

 

青空。ふとした瞬間、不意に何者かが私の頭を叩いた。叩いたと書くと誤解を与えそうなのでキチンと表現すると「柔らかいボストンバックが後頭部に投げつけられたような衝撃」を感じた。やれやれ、ホームレスの仕業か、と呆れながらも「ヤルノカ、コノヤロー」と臨戦態勢をとりつつ振り返った。しかし、そこには誰もいない。そして、何もない。私の肩には黒い羽らしきものがあるだけ。暫く、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。空を見上げると1匹のカラスがけたたましく鳴いている。それは鳥の鳴き声ではなく恐ろしく敵意をむき出しにした咆哮だった。そのカラスを目で追っていると、私の頭の上をぐるぐると旋回し続けていることに気が付いた。

 

犯人はコイツなのか。

 

カラスは電柱にとまり頭上から私を威嚇し続けている。誰かが「猿と目線を合わすな」と言っていたことを思い出した。しかし、「カラスと目を合わすとな」とは言われていない。私は無慈悲なカラスの眼を見た。確実に獲物を見る眼だ。そんな私(獲物)を逃すまいとして、カラスは襲いかかってきた。姿勢を低くして攻撃を2度、3度避ける。カラスの爪が頭上をかすめる度に羽音が耳を突く。私には武器がない。棒さえあれば剣道有段者の実力を出せるのに、と悔しかった。かつて空手を習っている友達に「剣道は武器が無ければ弱い」と言われてしまったので、「剣道で心を鍛える」と負け惜しみを言ってしまったことを思い出していた。走馬灯が脳裏を駆け巡っていたのだろう。ちなみにカラスの最初の一撃で私の剣道で鍛え上げた強いはずの心は無残に砕け散っていた。南無〜。

 

何とか屋根のある場所まで命からがら逃げ込んだ。一息ついて、額から滴り落ちる赤い汗を拭って…赤い?ナンジャ、コリャ。どうやら最初の不意打ちで頭をやられてしまったらしい。悔しい。かくして、我々の戦いは幕を閉じた。その日は釈然としない時間を過ごす羽目になってしまった訳だが、理由は明白だった。

名前も知らないカラスに不意打ちを食らう。こんな避けようがない理不尽な悔しさをどこにぶつければいいんだ、と嘆いたときに、この記事を発見した。

 

kokounobonjin.hatenablog.com

 

2CH風に言うならばクソワロタだ。今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」に選出させて頂いた。今後も面白い記事をお願いします。じゃ。

 

PS.カラス怖すぎ。繁殖期は頭上に注意!

 

byアホウドリ