つい先日、同じタイトルの記事を書きました。何気なく書いている文章、でも後から読み返すと「読みにくい・内容が伝わらない」など、読み手に優しくない書き方になっていませんか。
実際、ブログなどの不特定多数を相手とする情報発信ツールにおいては文章力が問われます。勿論、日常生活のありとあらゆる機会で、文章力があった方が良いことは言うまでもありません。
今回、2回目の国語の勉強をしてみましたので備忘録として残しておきます。それでは行ってみましょう。
前回の記事はこちらから
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「こそあど言葉」を多用しない
皆さんは「こそあど言葉」をご存知でしょうか。これ、それ、あれ、どれ、などの始めに「こ・そ・あ・ど」が付く言葉(指示語)の事を言います。
例えば「早寝早起きは大切である。これは多くの人が知っている事だが、それを実践するのは難しい。」少しくどく感じます。改善してみましょう。
「早寝早起きは大切である。多くの人が知っている事だが、実践するのは難しい。」
どうでしょう、文中から「これ」と「それ」を取っただけですが、原文と比べるとかなりスッキリしましたよね。
「こそあど言葉」は直前に書かれている語句を受けることになります。直前に「こそあど言葉」が複数ある場合、読み手は受け止め方を迷ってしまう事がある(「これ」「それ」は何を指しているのか分からなくなる)ので多用は控える方が良いでしょう。
それではもう一つ例題を書きます。「テニスの上達には練習が必要である。しかし、それのやり方を知らないと、そのせいでケガをしてしまう事もある。コーチは生徒にそこを教える必要がある。」
このケースでは先ほどのように「こそあど言葉」を単純に文中から取り除くだけでは良い文章になりません。
まず「こそあど言葉」が何を指しているのかを考えると分かりやすいです。例えば文中の「それのやり方」とは何でしょう。文中から考えると練習となります。さらに厳密に表現するのであれば「正しい練習方法」となると思います。
それでは改善してみましょう。「テニスの上達には練習が必要である。しかし、正しい練習方法を知らないと、ケガをしてしまう事もある。コーチは生徒にケガをしない練習方法を教える必要がある」となります。
文章から曖昧さが消えて、言いたい事が伝わりやすくなりました。
すべての「こそあど言葉」が不要とは言いません。「こそあど言葉」は長い語句をまとめて読みやすくする、といった使い方がありますので、間違った使い方をしなければ十分読みやすい文章になります。
例えば「深夜まで営業しているラーメン店があった。私は毎週末、深夜まで営業しているラーメン店で食事をした」。この言葉が毎回文中に登場すると読むのが嫌になりますよね。2回目以降は「そこ」と表現することで読みやすくなります。
「〇〇だろう」は憶測であり、多用すると説得力に欠ける
「○○だろう」は断言できない場合(憶測で物を書くとき)に使われる言葉です。そのため、読み手によっては「この文章を書いた人は憶測でものを言っているのか」「物事を断言できないのか」と受け止めてしまう場合もあります。
それでは例題です。「息子はスポーツを通じて努力することの大切さを学ぶだろう。しかし、試合に負けると落ち込むだろう。努力が無駄になってしまったと思うだろう。」何が言いたいのか分かりませんね。
「スポーツを通じて努力することの大切さを学ぶ」事は一般的で断定できるはずです。書き手としては、自分の考えは○○だが、世間的には○○でない可能性がある、と考えて「○○だろう」と曖昧な表現にしているのでしょう。断言しちゃいましょう。
「息子はスポーツを通じて努力することの大切さを学ぶ。しかし、試合に負ける落ち込み、努力が無駄になってしまったと思うかもしれない」
息子と言えど他人ですので、その心情は分かりません。そのため、最後の文章では「○○だろう」から「○○かもしれない」と少し柔らかい表現にしました。
「○○だろう」(憶測)を多用することで説得力に欠けてしまう場合がありますので、本当に憶測なのか、実は断定出来る事なのかを考えて使う必要がありますね。
客観的な表現でない場合は「れる」「られる」を使わない
「れる」「られる」は客観的に物事を表現する場合に使われる語句です。一歩引いた立場から状況を説明する際によく使われますが、この言葉を多用することで説得力がなくなる恐れがあります。
それでは例題です。「クラブ活動を推奨されているのは将来のためであり、そこで結果を出せれば、大学への進学もスムーズに進むと思われます」
主語が曖昧ですね。少し改善してみましょう。
「学校がクラブ活動を推奨しているのは将来のためであり、そこで結果を出せば、大学への進学もスムーズに進むでしょう」
前回の記事でも書きましたが「主語を明確にすることの大切さ」が分かる例題となりました。新聞や週刊誌では客観的な表現として「れる」「られる」を使う事が多いのですが、主観として丁寧に表現するのであれば使い方を意識する必要があります。
「〇〇的」「〇〇化」「〇〇性」は曖昧に感じる
何でもかんでも「○○的」と表現する人がいます。しかし、実際は「○○的」と表現しなくても伝わります。
例えば「日本の少子高齢化は国際的な問題である。私的には早急に何らかの対応が必要だと考えている」
「日本の少子高齢化は国際問題である。私は早急に何らかの対応が必要だと考えている」で十分ですね。(今回は敢えて少子高齢化はそのままにしました)
「○○的」「○○化」「○○性」などは言葉を曖昧に表現するときに使われる言葉です。この言葉を多用することで文章自体が曖昧になってしまいます。ブログや日記は書き手が主張したいことを書く訳ですから、「私的」や「個人的」な表現は不要かもしれません。もし使うのであれば炎上させないために敢えて曖昧な表現に留めておく「保険」とでも言いましょうか。
語句を対等な関係に揃える
まずは例題を見て頂きましょう。「良いプレイをするには、十分な睡眠と、適度な準備運動をしたり、栄養のある食事をしっかりとることが大事だ」よく意味の分かる文章です。でも、実は少し改善の余地があります。「十分な睡眠」は名詞、「適度な準備運動をしたり」は助動詞、そして「栄養のある食事をしっかりとること」は名詞です。そして文章の最後は「○○が大事だ」となっていますので、それまでの語句を名詞化する必要があります。
それでは改善してみましょう。
「良いプレイをするには、十分な睡眠と食事、そして適度な運動が大事だ」となります。
「○○すること」が入れたい場合は「良いプレイをするには、十分な睡眠と食事をとること、そして適度な運動をすることが大事だ」となります。私は前文の方がすっきりしていると思います。
対等な関係に揃えるのは何も名詞、助動詞の関係だけではありません。表現そのものを揃えることが、より文章が丁寧で分かりやすくなります。
例えば「彼はやみくもに練習するので、試合でも結果を出す」意味は分かりますね。「やみくも」はどちらかと言うと-(マイナス)なイメージですよね。しかし、「結果を出す」のは+(プラス)のイメージです。「○○で」を使う場合は前の文と後ろの文の表現も揃えてあげましょう。
「彼はしっかりと練習するので、試合でも結果を出す」としてみました。違和感がなくなりました。
最後に
前回に比べて内容が少し難しくなっています。この辺りをマスターすると会社の文章作成でも十分活用できます。もう一度、自分の文章を見直してみませんか。次回は「応用編」です。では。
最後までお読み頂きありがとうございました。