私は捻くれた性格なのかメディアを通して見た事、聞いた事が真っ直ぐに伝わって来ない。用心深い性格と表現すれば聞こえは良いのだが、私の場合は決してそうではない。どうも少し浮いたようなところがあり、組織に馴染めなかった事が多かった。そんな私が気になった事がある。
巷では「24時間テレビ」で両足が不自由な少年に富士山を登山させた企画に非難が集まっているようだ。それは父親の過度な叱責・登山を強制している「ように見える」シーンを取り上げたSNSが拡散され炎上したからだ。実際には暴力などはなかった様なのだがモニターを通すとそう見えたらしい。このシーンの真意はどうであれ、こういったメディアのパフォーマンス(企画)は視聴者の涙腺に触れる事はなかった。
裏番組のNHKは「障害者の感動ポルノ」と表現した。要するに障害者を利用してお涙頂戴は如何なものか、という訳だ。言い得て妙である。
障害者だって普通の人間だ。ハンデを持ちながらも努力して目標に向かう聖人と表現された当人(障害者)たちはどういった心境だったのか。きっと、自分の知らぬところで脚色され祭り上げられる事を危惧していただろう。社会的弱者が富士山に挑戦する構図は端(特に健常者)から見ると無謀にも見え、それを克服した時の感動は計り知れないだろう、そんなテレビ局の浅はかな目論見が垣間見える企画だった。
ここ最近の「〇〇時間テレビ」は世間から乖離しているように思う。私の目には恰も社会的弱者が難しい事や大変な事を克服するシーンを放送すれば感動に繋がると安易に考えているかのように映る。まぁ、芸能人によるマラソンも好きではないが。
先日の27時間テレビのラスト。スーパーダンク。正直、これには笑ってしまった。テレビ局の方が本気で考えた企画には思えなかったからだ。27人ダンクがまさかの25人ダンクで成功。結果もさることながら、番組終盤ということもあり何が何でも成功で終わらさなければならない雰囲気にのまれたグダグダなラスト。2ちゃんねるでは「放送事故」とまで言われる始末。果たして「成功」だったのか。
しかし、この放送と今回の24時間テレビは感動ってなんだろう、と考える良い機会にはなった。
それは、ジャニーズが高校生に混ざってスーパーダンクを決める事でもなければ、障害者に富士山を登らせる事でもない。
人は些細な事でも大いに感動するし、大いなる事でも全く感動しない場合もある。やはり何かに挑戦する姿が感動を呼ぶのだ。オリンピックだって挑戦する気持ちが伝わらなければ感動も起こらない。
例えばテコンドー。韓国はキム・ソヒ選手が金メダルを獲得したにもかかわらず韓国国民からは非難が起きたらしい。それは決勝戦における「逃げ」の姿勢が反感をかった。例えオリンピックであっても「逃げの金」より「本気の銀」の方が感動を与えるのだろう。
私だって、これまでの人生で見てきた沢山の感動ドキュメンタリィよりも、自分の息子(当時1歳)が立とうとしていた時の方が感動した。彼は本気だった。今でもその姿を思い起こせば前向きになれる。
しかし、この姿だってメディアを通し「編集」される事で不自然な挑戦に早変わり。だから、メディアって苦手だ。
PS.ジャニーズ批判の記事ではないので悪しからず。また、社会的弱者の現状を伝える番組と感動ポルノは別物なのでそちらもヨロシク。
byアホウドリ