この世には2種類の新聞が存在する。1つは日経、朝日、毎日など一般的に「新聞」と呼ばれるもの、そしてもう1つは日刊スポーツ、デイリースポーツ、サンスポなどの所謂「スポーツ新聞」と呼ばれるものである。どうも新聞を読んでいる人間はスポーツ新聞を小馬鹿にしているように窺える。これはスポーツ新聞特有のエンターテイメント性に特化した内容を社会人たるものが真剣な顔をして読むべからずとでも言いたげである。
しかし、実は新聞すら読まない私もスポーツ新聞を小馬鹿にしているのだ。
ちなみにウィキペディアではスポーツ新聞を下記のように説明している。
スポーツ新聞(スポーツしんぶん)とは、スポーツやゴシップ・芸能・レジャーなど、娯楽関連のニュースを中心として発行する新聞のこと(「ウィキペディア」より」)
私は新聞を読んでいない。日常的なニュースなどは専らインターネットで情報収集しているからだ、と書いてしまうと「ネットの情報を鵜呑みにするなんて馬鹿げている」、「新聞とネットの情報量には差がある」などの批判を受けてしまうと思う。しかし、昨今インターネットの急速な普及によって情報が伝わるスピードが飛躍的に向上した。ニュースは生まれた瞬間から急激なスピードで腐敗が始まり、一度流れたニュースは1時間もすれば過去の遺物となるのだ。これは昭和の時代にはなかったスピードだ。そして、ネットで流れるニュースは僅か1,000文字にも満たない内容にまとめられており、それらは読み手にもスピードを要求するようになってしまった。ネットはニュースを広く、簡単に伝えるのに適している。もちろん、これが一概にも良いとは言えないのだが、これこそが現在の情報化社会そのものではないか。
実際、ネットとそれを補完するテレビのニュース番組で事足りてしまうのが現状である。これこそが私が新聞を取らない理由だ。
一方のスポーツ新聞に目を向けてみると世間のイメージは決して良いものではない。例えば掲載内容に不確証・誇大表現が多い、Hな記事や風俗情報が掲載されている、オヤジ好みの話題ばかりなどネガティブな意見が多い。スポニチに関しては「日付しか正しい事は書かれていない」と揶揄されるほど記事の正確性が低い(と思われている)。これが新聞を名乗って良いものだろうか。
しかし、30歳を超えた辺りから、私はコンビニなどで面白そうなスポーツ新聞のタイトルを発見したとき読みたい衝動に駆られ始めた。
私は決してお洒落で意識が高い訳ではない。寧ろ、オサレ(お洒落になりきれていない)で意識高い系(意識は高くない)の部類だと思う。つまらないプライドを持った意識高い系のオサレな私が「スポーツ新聞などを読む訳がない」とドス黒いオヤジ的な私と葛藤しているのだ。そう、タイトルをよく見て頂きたい。新聞は読まないがスポーツ新聞を読まないとは一言も書いていない。小馬鹿にしているのは他でもない、スポーツ新聞を読んでしまう自分を客観的に見て小馬鹿にしているのだ。結局、人間は素直になる方が自然で良い。私って多重人格ですから。じゃ。
byアホウドリ