或る阿呆鳥に呟く。

~ジュニアテニス、映画、雑記、何でもありの備忘録〜

【雑記】11月7日はバナナの日ではない

11月7日といえば何・誰が生まれた日を想像するだろうか。はてなブログ?違う、マリ・キュリー(キュリー夫人)?違う、長瀬智也?違う、実は彼らの陰に隠れて生まれたもう一つの命がある。そう、私が生まれた日なのだ。齢37、これからも身分相応、質素に生きる所存でございます。

 

今朝、37歳という一般的にはオッサンに分類される年齢となってしまった。息子(4歳)から「パパ、おめでとう〜」とお祝いのバナナ(何故バナナ?)を手渡されるまでは自分の誕生日の事をスッカリと忘れていた。確かに私は忘れっぽい性格なので自分の誕生日や記念日をすっ飛ばす事はよくあるのだが、何故だかこの年齢になると自分自身より他人の方に興味が行ってしまうのだ。自分へのプレゼントを選ぶよりも他人のプレゼントを選ぶ方が時間をかけ金を使っている。不思議だ。私は一人っ子なので自分本位であった事は自覚しているつもりだが、年々そう行った考えが薄れてきて他人への興味が強くなりだした。多分、世代交代を意識する年齢になったのだと思う。おっそー。かつて剣道部を引退した後、久し振りに後輩を揉んでやるかと生半可な気持ちで練習に顔を出しフルボッコされた思い出と同じだ。それを誰からともなく自身で悟り、他人をたてるようになっただけの事だ。プロアスリートのように引退宣言をする事はないものの、気持ち的には全く同じだろう。私が力を注ぐべき相手は自分ではなく、若手(息子)になってきたのだ。

 

とはいえ、人生が終わるわけではないので悲観的になる必要はない。何故なら、これまで無色だった風景が急に色付いて見えるようになったからだ。お前のこれまでの人生って何だったのよ、というツッコミは胸にしまって頂きたい。ここ数年欠かさずに行っている紅葉狩り。かつては紅葉1、その後の宴会9のような割合で楽しんでいたのだが、今となっては逆転している。祖父が旅行に行くと景色ばかり眺めていた事が懐かしい。こうして徐々に年を取って行くのかと思うと、それすらも楽しみになる。

 

病気や怪我で体が不自由になった事がある人ならば分かるだろう、当たり前の有り難みが。この調子で年を重ねれば下手をすればアスファルトの隙間から咲くタンポポを見ただけでも泣いてしまうかもしれないし、死ぬ直前になると今息をしている事ですら世界中の人々に感謝するかもしれない。いやー、人って変わるものですね。

 

最後に私が好きなRADWIMPSの歌から人生の価値を伝えたい。

 

普通に生きて 普通に死ぬ それだけすごいことを普通にする

それだけで俺は特別 子宮から出てきた甲斐がある

(RADWIMPS「ヒキコモリロリン」より抜粋)

 

じゃ。

 

プレゼントby息子

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