或る阿呆鳥に呟く。

~ジュニアテニス、映画、雑記、何でもありの備忘録〜

何でもかんでも「ゲームのチュートリアル」に例えるのは止めよう

皆さんはゲームのチュートリアルをご存知だろうか。スマートフォンでゲームをしたことがある人なら理解しやすいと思う。

 
ゲームを初めてプレイする際に「ゲームの中で基本操作を懇切丁寧に教えてくれるシステム」のことである。
例えば、このボタンを押せばクエストを始めれる、このボタンを押せば敵を攻撃できる、といった操作方法をストーリーを進めながら学べる代物である。

 

専用機の時代は大抵説明書(紙)というものが付いており、それを一読したうえでゲームをプレイすることが出来たが、スマートフォンでゲームをする場合はそうはいかない。
そのため、チュートリアルという形でゲームの基本操作を教えてくれるのだ。
 
チュートリアルでは殆ど「ゲームオーバー」にならない。当然である、説明書を読んでいてゲームオーバーになるゲームもないのだから。
 
※殆ど、と記載したのはチュートリアルでゲームオーバーになるゲームもあるし、説明書を読んだ時点で分からなくてゲームを諦めてしまう人もいるからである。
 
さて、ここからが本題である。つい先日、こんな話を電車で耳にした。
 
《或るサラリーマン》
5月の研修期間で辞めるなんてどう思う?研修期間なんてゲームのチュートリアルと一緒だろ。ガハハハ。
 
確かにチュートリアルには個人指導や講座、教材などを指し示す意味もある。しかし「ゲームのチュートリアル」と「仕事の研修」が同じと発言するのは違和感を感じざるを得ない。
 
一番気になったのが、この発言をした人が「ゲームのチュートリアルと一緒」という言葉が大好きそうで何度も繰り返し使っていたこと。
少し飛躍するが、この手の人間は「学校なんて社会の基本を覚えるためのゲームのチュートリアルと同じ」と言い出しかねない。どうも釈然としない使い方である。
学校は社会に出るための準備であり、ゲームのチュートリアルと同じではない。それに学校では社会の基本を「懇切丁寧」に教えてくれる訳ではない。自分から能動的に準備をする必要があるのだ。
 
やはりチュートリアルという言葉は馴染みがない。いくらお笑い芸人の「チュートリアル」が浸透しようと同じである。講座の案内とかに「チュートリアル(個人指導)」ってカッコ書きで説明が書かれている時点で浸透していないと思う。
こういった浸透していない言葉を恰も正しく使っている風に大声で言ってしまう人は残念だ。
 
このご時世、言葉の意味と使い方を正しく理解していないまま大声で発言するのは怖い。間違った使い方で人を傷付けているかもしれない。
 
皆さんは「チュートリアル」の間違った使い方をしていないだろうか。
 
byアホウドリ